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武蔵(むさし)は、大日本帝国海軍の初代・葛城型の3番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。艦名は、旧国名武蔵国にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。 ==艦歴== 1884年に横須賀造船所(後の横須賀工廠)で起工し、1888年に竣工、1890年8月23日に第一種と定められた。 初めは巡洋艦と呼称されていた。日清戦争には、仁川方面警備や僚艦とともに大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加。1896年からは東北地方、北海道および千島列島の警備等にあたった〔明治29年8月27日付 武蔵艦長東郷正路作成「明治29年8月 軍艦武蔵北海道警備に関する第二回報告」、アジア歴史資料センター ref: C06091055700。〕。1898年3月21日、三等海防艦に類別された。1897年からは海防艦籍のまま測量任務に従事〔『日本海軍特務艦船史』、p.38。〕し、1925年にかけて日本近海の水路測量に従事した。 1902年5月1日、暴風のため根室湾口で座礁し、7月17日から10月6日まで横須賀造船廠で修理を行った。日露戦争に際しては、津軽海峡警備に従事した。1912年8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に類別変更され、1922年4月1日に姉妹艦「大和」と共に特務艦(測量艦)となった。1925年に発見された武蔵堆と、同年に本艦が測量した天売島-焼尻島間の武蔵水道は、いずれも本艦の名にちなんだもの〔マイペディア 武蔵堆の項。〕〔羽幌町観光協会ホームページ 〕。 1928年4月1日に除籍、7月6日に廃艦第5号と仮称。10月3日司法省に移管し、小田原少年刑務所三崎繋留宿泊船として使用され、1935年に廃船となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武蔵 (スループ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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